T教団の知られざる実態2

小さい頃から繰り返し繰り返し頭に刷り込まれれば、知らないうちにその情報がプログラミングされて行き、いつしか信者の子供達は、教祖の事を自然な形で「父母」と呼び、尊敬し愛を傾けるべき対象として深い部分で受け入れていく。


それによって子供達に「教祖の子供達」と言う
一種の「同族意識」を持たせる事で、親の思想を完全に疑いなく受け継ぐ様に教育していたのだ。

 


だから、その出産から教育の過程にいたるまでのプロセスの重みは生半可ではなく、教団内では「二世」と言うのは一つのステータスであり、称号だった。

 

これが、二世信者に「選民意識」が深く刷り込まれてしまうメカニズムであったと言えるかも知れない。


さらに、二世信者の結婚もその「二世」同士でしか出来ないと教え込み、婚前性交渉をしたり、結婚後浮気をしたら「脱線」と見なされてアイデンティティを失うと言う恐怖心を絶え間なく強烈に植え付けられる。


この流れの本質だけを抽出して説明すると、子供達は最初に「自分達は特別な選ばれた存在である」とあらかじめ教育された上で、「過ちを犯すと他の卑しい存在に堕ちる」と言う戒めによって杭を打たれ、逃げられない様にされる。


更にそれを「死」と呼び、もしその行為をすると肉体の死後も永遠に地獄にいるはめになると恐怖心を繰り返し煽って、簡単にはその立場から離脱できない様に、特殊な「生死観」を産まれた瞬間から徹底して叩き込んでいると言う事なのだ。


この辺りが、俗に言うマインドコントロールと言われる内容に近いと思う。もちろん、子供の個性や育った環境などによってその人生に及ぼす影響の度合いはまちまちで、中には早々に普通の人と性交渉をする事で「二世」を辞める子達も一定数いた。


しかし、そう言う事をした時に貼られるレッテルはかなり酷いもので、それは下手したら人種差別にも匹敵するのでは無いかと思う時もある。


わたしも実は、恥ずかしながら差別をしていた方の人種だった。徹底的に思想教育されて「偏った善悪の観念」を刷り込まれると、人を平気で悪魔呼ばわりする様なメンタルに仕上がってしまうこともあり得る事なのだ。

 

わたしは、その刷り込みを一掃して、人を平等に見れる様になるまで、相当ややこしい過程を経なければならなかった。


一度離脱したと見なされた二世信者の中には、半強制的に例の苦行、つまり断食や水行、禁欲期間を設けたりお百度参りの様な誠意を見せる行為を行なって、かろうじて「第2の二世」の位置を獲得できると言う謎のシステムで家族との繋がりを得ようと試みる人も多い。 

 

一度でも好きな人と性交渉をしたり、キスをしただけでも、それは罪に問われるし、本人が強引に自分の気持ちを押し通そうとすれば、それが家族の縁の決裂に直結する事もザラにある。

 

血統が違うからと言う理由で、交際を認められないと言う事が当たり前のようにある。

 

ちなみにお酒やタバコは成人する前も後も一生禁止を言い渡されるし、同性愛も禁止だ。

それでも、活発な子は親に反発して全ての禁止事項をやってのけ、半分勘当状態になりながら生きている場合もある。


しかし不思議な事に若い頃どれだけやんちゃをしていても、いつのまにか古巣に戻って来て親元で宗教結婚をしているパターンもかなり多いのだ。


なぜ、あんなにも反発して逃げ回っていたのに結局最後は家に戻って、一番自由でありたいはずの「結婚」を教団に捧げてしまうのかと言えば、それは0歳からの徹底的な思想教育が根強く潜在意識の中で彼らをコントロールしているからと言わざるを得ない。


しかし、それも時代と共に絶え間なく変化しているので今はどの様な文化があるのか正直把握出来ていない。


話が逸れてしまったので、元に戻そうと思う。


同じ団地の中に住み、共同生活をする。その渦中で母親たちは母親としての自覚が固まる前に、全体の流れに任せて子育てをして来たのだと思う。
この話は、わたしの主観をもとに分析したものなので、絶対的にこうだとは言い切れないが、

まず、教団に属している時点で、自分の子供に意識を向ける時間も労力も基本的にはゼロに等しくなる。

それらの労力は常に教団の全体行動に向けられる。よって個別の事情を尊重してもらえる様な空気はほぼ無いと言っていいと思う。


彼らが子育てをするイメージは、少し乱暴な言い方をすると、動物の「群れ」のそれに似ている。
各々の親子関係はあるものの、どこか共同で子供を育てようと言う暗黙の疎通が感じ取れる。 


得意不得意を補う様な感覚だ。家事が得意な人は団体生活の食事当番を担当し、外回りが得意な人は布教活動をする。
わたし達は、一般的な乳幼児達よりもかなり長い間、他人に預けられていた。


それも、保育士の資格がちゃんとあるかも定かでない若い信者が世話係を担当している事が多かった。今思い出しても、平気で差別的行動はとるし、暗い場所に閉じ込めたり、今なら虐待まがいと言われるような事も平気で横行していた様に思う。


幼稚園に上がる頃には、幼稚園が終わると学童保育に似た機関に移され、教団特有の幼児教育カリキュラムをこなす毎日を送っていた。両親と過ごす時間は、本当に少なかった。


当たり前だがその中では、問題なく健康に育った子に基準が置かれる。


かなり極端な表現になるかもしれないが、結果的にそこに追随出来ない虚弱体質の子は、団体生活に無理矢理ついて行く形になる。
個別でケアする事を許されるのは、その子が病気になるか、死にかけた時だけだ。


わたしの場合は、このシステムの中で恩恵を受けた方だ。手術の際献血してもらったり、祈ってもらったおかげで生き延びれたんだと両親からは聞いた。


しかし、一方で生命の存続が確保出来たら、後は元どおりの流れに戻る。子供が衰弱していようが母親が付ききりでアフターケアなんかしている暇がないのだ。少なくとも、わたしの時はそうだったと思う。