T教団の知られざる実態3

赤ちゃんの頃の私の写真を見ると、我ながら精魂の尽き果てた抜け殻の様な表情をしている。普通の母親なら、すぐに団体生活の中に放り込んでは行けないと判断出来ると思う。


しかし、当時の母を想像すると、恐らく周りの空気に判断基準を持って行かれた可能性は高い様に思う。


手術の痕はケロイド状にクッキリ残ったし、冒頭のエピソードの様に体の深部は組織が硬く縮こまったまま放置されて、知らずにあちこち歪なまま成長した。


もちろん、決して文句を言いたいわけではない。もっと悲惨な境遇の人が五万といる事を思えば、生き延びれただけでもありがたいと思っている。

 

しかし、この教団の中で生きてきた事が原因で、その時にもしかしたら軌道修正出来たかも知れないものまでも、まるで無かった事だったかの様に忘れ去られたのがくやしい。

 

それくらい、わたしの属していた教団は個人よりも家庭を、家庭よりも別の大きな団体の為に生きる事を自然な形で信者たちにしいてきたのかも知れない。

ところで母は昔、感情表現が皆無で、笑ったのを見た事が無かったのを思い出す。自主的に何かを自分で考えて行う雰囲気は持っていなかった。もしかしたら、鬱だったかも知れない。会話がとにかく続かなかった。


最近思い当たるのは「発達障害」があったのではないかという事だ。それは最近話題になっていた「透明なゆりかご」と言う漫画の作者である沖田×華さんの作品の一つを見て感じたのだ。

母が時々「緘黙症(かんもくしょう)」と言う発達障害の症状と似た様な様子を見せていた事を思い出したからだ。


緘黙症とは、声帯の問題はないのに、ある特定の場面や状況で喋れなくなる精神疾患の事を言うそうだ。


父は日常的に母を叱りつけていたし、わたし自身も恥ずかしながら母にキレていた事が多々あった。そんな時、母はこちらを完全に無視したかの様な面持ちで、身動きを取らないまま黙りこくる事があったのだ。


まだ調べていないのでなんとも言えないが、もし母の脳の発達に、他の人と違う何か特徴があったなら、教団の集団生活の中でもさぞかし不便で余裕無く過ごしていた事だろうと、今ならおしはかれる。


ところでその後、教団の方針が変わって団体生活が徐々に解除され、それぞれの家庭が別々の生活をする流れになった。


しかし母の中で培われたその習慣は無意識に続行された様に思う。簡単に言うと「流れに任せる教育方針」が採用された。その頃には、わたしや実の姉妹はトイレやお着替え、歯磨きなどは団体生活の中で無理矢理覚えた形となった。しかし自己流だから穴だらけだった。


母は、わたしたち姉妹を必要以上に個別で面倒を見ようとはしてくれなかった様に思う。信者の母親の中には、例え団体生活の中で思うように自分の子供の面倒を見れない環境であっても、母親としての自覚があって、愛情をかける人も少なからずいた様に思う。


そう言う人は、自分の子供に対して声がけや躾をしながら、過去どこかで埋まらなかった部分を団体生活が解除された後に必死に埋めようとつとめたかも知れない。しかしわたしの母はその類の人種ではなかったのだろう。

元々の特徴に重ねて、他の悩みが彼女を覆い尽くしていた事もあり、特に深い配慮もなく、わたし達は結果的に放置されたのだと思わざるを得ない。


だからこそ、学校生活でわたしが体力の面で支障をきたしていても、長い間気づかなかったし、わたし本人に手術の有無についてわざわざ伝える必要性も特に感じなかったのだろうと思う。


これは決して、母を責めようと言うものではない。もちろん、思春期を迎える頃には全く理解できず母を恨んだ時期もあるが、このノートの中で伝えたい事はそれではない。


この一件は教団の性質と母の性格や特徴が絶妙に絡まり合って起こった事故だったと考えるのが妥当だと思う。

信者になったからには、元々どんな素性の人であれ、一定条件さえ満たせば結婚する事ができる。

そうやって、自然では起こり辛い事をも無理矢理起こさしめるところが、宗教の怖いところだと思う。


教団信者の親のほとんどは、子供を犠牲にしてでも伝道に出かけたり、集会を開いて教理の勉強会をする事に一種の美徳を感じたりしていた。

だから、言ってみれば「どんなに忙しかったか」「どんなに子供をほったらかしたか」が美談にすり替わったりする文化が確かにあった。

親子の愛がどんなものであるか知っている人には分かる限度も、元から分からない人は放置する限度を知らない。

中には、その雰囲気を言い訳に、子供を育てる事の煩わしさを回避する人もいただろう。もともと、教祖の仲人による結婚で、満足行く夫婦関係を築けなかった人は、尚更そうなる可能性も高かったかも知れない。

内容がどうであれ、同じ同志として表面上同じ様に子供を放ったらかしていたら、母に何か助言をする人が居なかったとしても何もおかしくない。

 

そう捉えると何も、放置された可能性のある信者の子供達は、決してわたしだけではない。 


余りにもそれが当たり前だったので、子供の立場からすると当時はそんな環境に違和感を覚える事すら難しかった思う。ただそう言うものだと思い、子供らしく甘えたい感情のほとんどを飲み込みながら過ごすしかなかったのでは無いかと思う。

 

ただ一つ、それでも付け足して言っておきたいのは、わたしの場合は病気と言うものが余分にあったおかげで、そのひずみによる精神的な苦痛がより強調された。


母がもし、どんな環境であれ現状把握する能力があり、少しの愛情があったならば、目の前で起こっている事に対して、もう少し的確な判断が出来たのではないかと思うと残念だ。


例えば、毎朝起きれない私に、もう少し違う声がけが出来たかも知れない。例えば、
「お前は小さい頃大きい病気をしたから、ちょっと体が疲れちゃってるんだね。班長さんが来たら、わたしから上手に言っとくから、自分を責める様な事はしちゃいけないよ。」とか。

そんなものは妄想だと解っているつもりでも、
そうすればわたしの人生はもう少し違っていたのではないかと想像してしまう。

少なくともわたしなら、我が子が同じ境遇にあったら、上の様に言ってあげたい。

T教団の知られざる実態2

小さい頃から繰り返し繰り返し頭に刷り込まれれば、知らないうちにその情報がプログラミングされて行き、いつしか信者の子供達は、教祖の事を自然な形で「父母」と呼び、尊敬し愛を傾けるべき対象として深い部分で受け入れていく。


それによって子供達に「教祖の子供達」と言う
一種の「同族意識」を持たせる事で、親の思想を完全に疑いなく受け継ぐ様に教育していたのだ。

 


だから、その出産から教育の過程にいたるまでのプロセスの重みは生半可ではなく、教団内では「二世」と言うのは一つのステータスであり、称号だった。

 

これが、二世信者に「選民意識」が深く刷り込まれてしまうメカニズムであったと言えるかも知れない。


さらに、二世信者の結婚もその「二世」同士でしか出来ないと教え込み、婚前性交渉をしたり、結婚後浮気をしたら「脱線」と見なされてアイデンティティを失うと言う恐怖心を絶え間なく強烈に植え付けられる。


この流れの本質だけを抽出して説明すると、子供達は最初に「自分達は特別な選ばれた存在である」とあらかじめ教育された上で、「過ちを犯すと他の卑しい存在に堕ちる」と言う戒めによって杭を打たれ、逃げられない様にされる。


更にそれを「死」と呼び、もしその行為をすると肉体の死後も永遠に地獄にいるはめになると恐怖心を繰り返し煽って、簡単にはその立場から離脱できない様に、特殊な「生死観」を産まれた瞬間から徹底して叩き込んでいると言う事なのだ。


この辺りが、俗に言うマインドコントロールと言われる内容に近いと思う。もちろん、子供の個性や育った環境などによってその人生に及ぼす影響の度合いはまちまちで、中には早々に普通の人と性交渉をする事で「二世」を辞める子達も一定数いた。


しかし、そう言う事をした時に貼られるレッテルはかなり酷いもので、それは下手したら人種差別にも匹敵するのでは無いかと思う時もある。


わたしも実は、恥ずかしながら差別をしていた方の人種だった。徹底的に思想教育されて「偏った善悪の観念」を刷り込まれると、人を平気で悪魔呼ばわりする様なメンタルに仕上がってしまうこともあり得る事なのだ。

 

わたしは、その刷り込みを一掃して、人を平等に見れる様になるまで、相当ややこしい過程を経なければならなかった。


一度離脱したと見なされた二世信者の中には、半強制的に例の苦行、つまり断食や水行、禁欲期間を設けたりお百度参りの様な誠意を見せる行為を行なって、かろうじて「第2の二世」の位置を獲得できると言う謎のシステムで家族との繋がりを得ようと試みる人も多い。 

 

一度でも好きな人と性交渉をしたり、キスをしただけでも、それは罪に問われるし、本人が強引に自分の気持ちを押し通そうとすれば、それが家族の縁の決裂に直結する事もザラにある。

 

血統が違うからと言う理由で、交際を認められないと言う事が当たり前のようにある。

 

ちなみにお酒やタバコは成人する前も後も一生禁止を言い渡されるし、同性愛も禁止だ。

それでも、活発な子は親に反発して全ての禁止事項をやってのけ、半分勘当状態になりながら生きている場合もある。


しかし不思議な事に若い頃どれだけやんちゃをしていても、いつのまにか古巣に戻って来て親元で宗教結婚をしているパターンもかなり多いのだ。


なぜ、あんなにも反発して逃げ回っていたのに結局最後は家に戻って、一番自由でありたいはずの「結婚」を教団に捧げてしまうのかと言えば、それは0歳からの徹底的な思想教育が根強く潜在意識の中で彼らをコントロールしているからと言わざるを得ない。


しかし、それも時代と共に絶え間なく変化しているので今はどの様な文化があるのか正直把握出来ていない。


話が逸れてしまったので、元に戻そうと思う。


同じ団地の中に住み、共同生活をする。その渦中で母親たちは母親としての自覚が固まる前に、全体の流れに任せて子育てをして来たのだと思う。
この話は、わたしの主観をもとに分析したものなので、絶対的にこうだとは言い切れないが、

まず、教団に属している時点で、自分の子供に意識を向ける時間も労力も基本的にはゼロに等しくなる。

それらの労力は常に教団の全体行動に向けられる。よって個別の事情を尊重してもらえる様な空気はほぼ無いと言っていいと思う。


彼らが子育てをするイメージは、少し乱暴な言い方をすると、動物の「群れ」のそれに似ている。
各々の親子関係はあるものの、どこか共同で子供を育てようと言う暗黙の疎通が感じ取れる。 


得意不得意を補う様な感覚だ。家事が得意な人は団体生活の食事当番を担当し、外回りが得意な人は布教活動をする。
わたし達は、一般的な乳幼児達よりもかなり長い間、他人に預けられていた。


それも、保育士の資格がちゃんとあるかも定かでない若い信者が世話係を担当している事が多かった。今思い出しても、平気で差別的行動はとるし、暗い場所に閉じ込めたり、今なら虐待まがいと言われるような事も平気で横行していた様に思う。


幼稚園に上がる頃には、幼稚園が終わると学童保育に似た機関に移され、教団特有の幼児教育カリキュラムをこなす毎日を送っていた。両親と過ごす時間は、本当に少なかった。


当たり前だがその中では、問題なく健康に育った子に基準が置かれる。


かなり極端な表現になるかもしれないが、結果的にそこに追随出来ない虚弱体質の子は、団体生活に無理矢理ついて行く形になる。
個別でケアする事を許されるのは、その子が病気になるか、死にかけた時だけだ。


わたしの場合は、このシステムの中で恩恵を受けた方だ。手術の際献血してもらったり、祈ってもらったおかげで生き延びれたんだと両親からは聞いた。


しかし、一方で生命の存続が確保出来たら、後は元どおりの流れに戻る。子供が衰弱していようが母親が付ききりでアフターケアなんかしている暇がないのだ。少なくとも、わたしの時はそうだったと思う。

T教団の知られざる実態

T教団とは、韓国発祥のキリスト教新興宗教で、あの桜田淳子さんや、X JAPANのTOSHIさんも一時入団したとかしないとか騒がれた教団です。


また、何千、何万人と言う新郎新婦が一つの場所で結婚式を挙げる「合同結婚式」については一時期TVにも取り沙汰されて世間を騒がせました。


わたしは、その合同結婚式で結ばれたカップルの間から生まれた「二世」だった。と言う事なんですね。


そんなわたしが、生まれ育った境遇のほんの一端を、あるエピソードを切り口として考察して行こうと言うのが、わたしが書こうと思うマガジンの趣旨です。


実はまだ1話目しか出来ていないのですが、テスト的に書いて、どの様に書いていけば一番良いか模索してる最中です。


記念すべき第1話は、【エピソード編】を主軸に、【自己分析編】【教団の実態編】などそれぞれのテーマに沿ったコラムなどをおさめています。元々一つの文章を分割した形なので、ご興味ある方は番号順に一通り読んでいただけたら幸いです。

ドラゴンフルーツの写真のついているマガジンです。(プロローグ含め7部作になっています)

この【教団の実態編】※改良、拡大版は、【教団の実態編】を編集し直したものです。所々かぶるかも知れませんのでご了承下さい。


もちろん、この本文のみのご購読も大歓迎です。
では、はじめてまいりましょう!

この文章も、前回の続きと言う形になっております。
☆☆☆☆
続き→
わたしはずっと、自分は「小児ぜんそくを患った健常者」と言うアイデンティティで生きていた。(喘息持ちで健常者と言うのもおかしいかもしれないが)母もごく自然な形で、その様にわたしを扱っていた。


だから当然、小学校にあがった頃には誰も私の前提条件(生死をさまよった事)を知る人がいなかったし、フォローする人はいなかった。それがそのうち、些細な誤解を生み、一人歩きする様な状態になったのだと思う。


当時、母がなぜそう言う態度しかとれなかったのかと言うのは、その背景を考えると自然と浮かび上がる。


そこには、新興宗教と言う特殊環境が深く関わっていだのだ。


当時わたしの両親が属していたT教団では、どこの地区でも信者が固まって団地に住み、その近くに小さい子供達を面倒見る施設が作られ、若い信者の母親達はそこに子供達を預けて主に教団側から言い渡された公務をこなす事を促されていた。

それは教団が、信者の子供たちを残らず「神の子」として教団の思想に沿った人物に育て上げるための一つのシステムだったと思う。


そのシステムは、教祖の仲人によって結婚した信者やその候補者だけを集めて、そこで産まれた子供たちを信者が一丸となって育てる事で、ある一定の期間子供達に外部の価値観を一切触れさせることなく一貫した教育を施すことにより、一種の「選民意識」を刷りこむのに一役買っていたと思う。


「選民意識」とは、辞書によると『自分達は特別な選ばれた存在であり、他の存在を卑しいと思い込む事』を言うそうだ。


T教団は「血統」を重んじていて、特に性的な事に関しては尋常じゃない厳しい規律を信者に守らせていた。


例えば、教祖の仲人で結婚する前に、一週間の断食(ファスティングに似ているが、教団内では食事を一切摂らず水のみで過ごす)をしなければならないとか、

入教時、処女童貞でない者は、一定のランクの基準に入れないとか、結婚後3年から7年は夫婦であっても禁欲生活をしなければならないとか 


「信者」、取り分け「教祖の仲人で結婚して子供を持つ資格を持つ信者」の位置を獲得するだけでも、大変なハードルを越えなければいけなかった時代もあった。わたしの親世代は、まさにその真っ只中だった。


その関門を越えたあかつきに授かった子供として二世が産まれると、本気で天から宝物を賜った様な感覚になり、この上なく大切にする風潮が生まれていた様に思う。 


しかし残念ながらそれは、単純な親の愛と言うよりは、極端な言い方をすると、その苦労に報いる一種の「戦利品」の様な感覚だったかも知れない。

今思い返すと、彼らは一定期間、一種の苦行の様な事をやり続けたのだから、意識は常に限りなくナチュラルハイだったに違いない。


信者達は教祖の事を「父」、その妻を「母」と言う位置づけで慕う様に教団から教育されていた。
同時に自分の子供達にも教祖の事を「父母」と思って慕えと教育していた。
その刷り込みも、今思えば信者達の感覚を狂わすのに一役買っていた気がしてならない。

 

要するにその流れから行くと、二世信者達は教祖から見たら「孫」のはずなのに、産んだ親達を差し置いて子供達にまで自らを「父母」と呼べと教え込んだ。


では、自分を産んでくれた親は何者なのか?と言う一種のアイデンティティの混乱を来す要素がさりげなく盛り込まれている。
親子関係における正常な位置関係の把握に混乱を来す可能性があると言う事だ。


二世信者本人より、彼らを産んだ親の方が、自然な流れの中で「私たちは代理の両親で、本当の両親は、教祖さま夫妻なんだよ」と教え込んで自らを「養父母」の立場に持って行こうとする状況設定を親子で無意識に肯定する立場を取るように促す様になっていた。